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ハワイの歴史とスピリット
絵で見るハワイの歴史
ハワイ王朝の生涯
ハワイのすべての島を力で統一しハワイ王朝をつくったカメハメハ大王の肖像画

クックが来航するまでのハワイは、数多くの首長が存在し、権力争いを繰り返しながら各地を分割統治していましたが、1775年にハワイ島の王となったカメハメハが全島統一へと乗りだしたのを機に、1810年「ハワイ王朝」が誕生しました。統一の成功の陰には、クックがもたらした西欧文明が大きく影響していたともいわれています。カメハメハはクックとの接触をきっかけに、西欧の武器や戦い方に深い興味を抱き、英国人のジョージ・バンクーバーを参謀として起用。西欧の戦術を導入することにより島内の対抗勢力を制圧するに致りました。つまり、ハワイ王朝は白人の後押しなしには成立しなかったといっても過言ではないでしょう。
その後、カメハメハはサトウキビや白檀の輸出など、国内産業の発展に尽力するものの、輸出相場の変動、外国人のもたらした疫病の蔓延などにより、国力は徐々に低下しました。そして、わずか84年後にはハワイ王朝は終焉を迎えることになります。ちなみに日本人や中国人がハワイに開拓移民として住むようになったのもハワイ王朝の時代。サトウキビ・プランテーションで働く労働力として、1850年代以降、ハワイは多くの外国人を移民として受け入れることにしました。これにより、その後ハワイはさまざまな人種・民族が入り交じった複雑な国家を形成していくことになります。また、生活文化においては、さまざまな民族から得たものとハワイ古来のものを融合させ、食に、ファッションに、芸術に、独自のユニークな文化を作り上げてきたということができます。

カメハメハ大王がビッグ・アイランドからオアフ島へ攻め入ったとき、戦いの舞台となったのが東海岸。激戦地として知られるヌウアヌ・パリ ハワイ王朝の最後の女王、リリウオカラニ。西洋化が進むなか、ハワイアンの誇りを取り戻そうと努力しましたが、最後には幽閉されてしまいます オアフ島イオラニ宮殿のフェンスに取り付けられているハワイ王朝の紋章。現在の州の紋章もこれにならっています

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